9/12 茨木にて~今朝の3170レ ― 2009/09/12 09:00
長野駅の仏閣型駅舎 ― 2009/09/13 22:13
今日は鉄活動はお休みでした。諸事情により予備調査に出ていたためですが……。
そんな中で、新鶴見PF1093号機が代走した1083レだけは、摂津富田~茨木間でかろうじて見ることができたのがラッキーでした。
というわけで過去ネタ。
1996年6月当時の長野駅舎(善光寺口)です。

善光寺を模して建てられた仏閣型駅舎。各地の主要駅が「民衆駅」となる中、最後までそのアイデンティティを主張し続けていましたが、翌年の長野行新幹線開業、さらにその後に控える長野オリンピックの開催を控え、長野駅周辺の風景も大きく変わりました。
訪問したのは1996年6月15日でしたが、この1週間後に写真の仏閣型駅舎はその役目を終え、惜しまれつつも取り壊されました。
もしよろしければクリックをお願いします。
そんな中で、新鶴見PF1093号機が代走した1083レだけは、摂津富田~茨木間でかろうじて見ることができたのがラッキーでした。
というわけで過去ネタ。
1996年6月当時の長野駅舎(善光寺口)です。

善光寺を模して建てられた仏閣型駅舎。各地の主要駅が「民衆駅」となる中、最後までそのアイデンティティを主張し続けていましたが、翌年の長野行新幹線開業、さらにその後に控える長野オリンピックの開催を控え、長野駅周辺の風景も大きく変わりました。
訪問したのは1996年6月15日でしたが、この1週間後に写真の仏閣型駅舎はその役目を終え、惜しまれつつも取り壊されました。
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9/14の岸辺駅 ― 2009/09/15 07:42
飯山線色のキハ40 ― 2009/09/16 06:26
昨日は危険物保安講習のため昼から出張でしたが、近場すぎたので鉄活動お休み状態でした(^^;
というわけで過去ネタから……。
1990年頃、飯山線戸狩野沢温泉駅にて撮影したキハ40単行列車です。

今となっては懐かしい、ロゴ入りバージョン飯山線色のキハ40です。
ロゴはフランス語で「ふれあい、友情」という意味だそうで、飯山線の果たす役割を端的に示していました。
しばらくすると車体のロゴは省略されましたが、飯山線では1997年の長野新幹線開業時にキハ110系(「秋田リレー号」で活躍したキハ110系300番台を改造した車両)と交代するまで、この色で活躍していました。
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というわけで過去ネタから……。
1990年頃、飯山線戸狩野沢温泉駅にて撮影したキハ40単行列車です。

今となっては懐かしい、ロゴ入りバージョン飯山線色のキハ40です。
ロゴはフランス語で「ふれあい、友情」という意味だそうで、飯山線の果たす役割を端的に示していました。
しばらくすると車体のロゴは省略されましたが、飯山線では1997年の長野新幹線開業時にキハ110系(「秋田リレー号」で活躍したキハ110系300番台を改造した車両)と交代するまで、この色で活躍していました。
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9/17 茨木にて~今朝の3170レ ― 2009/09/17 07:28
9/19 茨木にて~メトロ甲種と3170レ・ダイヤ乱れの中での撮影 ― 2009/09/19 20:20
今朝の茨木は晴れていましたが、吹田~岸辺間にて4時頃発生した人身事故の影響でダイヤはぐしゃぐしゃでした。
駅に着いてみると、上り方面の外側線通過列車案内に表示がありませんでした。
ホームに降り立つと、「2番のりばを列車が通過します」の放送が。
やってきたのはなんと所定外側線走行の貨物列車。2本続けてやってきました。
▼5:41通過 遅4096レ EF81 28

▼5:44通過 列番不明 EF210-12

△6:03通過 8862レ EF65 1064[新]+東京メトロ10000系10B
第一の本命、新鶴見のEF65 1064(原色赤プレ)牽引のメトロ甲種は9分遅れでやってきました。
下り内側線C電に被られ全景は撮影できず……

釜アップ

バックショット
編成番号は10030。予定ではあと1本です。

▼6:39通過 遅5091レ EF66 24
とりあえずヘッドマーク付きの記録のみですが……(^^;
「なは」風です。

△6:42通過 列番不明 EF210-10
EF210の変わり種を捕獲できました!
前面左と右で色が違います(^^;

▼7:26通過 遅51レ SRC1+2
ふだんは撮影できない列車の一つです……。

△7:52通過 183系「北近畿2号」回送
平日は内側線をのろのろ運転している列車ですが、今日は外側線を快走していきました。

△8:16通過 キハ85系「ワイドビューひだ9号」

△8:26通過 485系「雷鳥5号」
パノラマグリーン車連結のA03編成でした。
10月からは「サンダーバード5号」になるスジです。

△8:30通過 遅3170レ EF66 9+ワム23両
約2時間半の遅れをもって、ワム貨物がやってきました。
朝日を一杯に浴びて走る姿は貴重ですね。
編成全景

釜アップ

バックショット

ダイヤの乱れもありましたが、充実した朝でした。
そしてご一緒したYOOさん、お疲れさまでした!
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駅に着いてみると、上り方面の外側線通過列車案内に表示がありませんでした。
ホームに降り立つと、「2番のりばを列車が通過します」の放送が。
やってきたのはなんと所定外側線走行の貨物列車。2本続けてやってきました。
▼5:41通過 遅4096レ EF81 28

▼5:44通過 列番不明 EF210-12

△6:03通過 8862レ EF65 1064[新]+東京メトロ10000系10B
第一の本命、新鶴見のEF65 1064(原色赤プレ)牽引のメトロ甲種は9分遅れでやってきました。
下り内側線C電に被られ全景は撮影できず……

釜アップ

バックショット
編成番号は10030。予定ではあと1本です。

▼6:39通過 遅5091レ EF66 24
とりあえずヘッドマーク付きの記録のみですが……(^^;
「なは」風です。

△6:42通過 列番不明 EF210-10
EF210の変わり種を捕獲できました!
前面左と右で色が違います(^^;

▼7:26通過 遅51レ SRC1+2
ふだんは撮影できない列車の一つです……。

△7:52通過 183系「北近畿2号」回送
平日は内側線をのろのろ運転している列車ですが、今日は外側線を快走していきました。

△8:16通過 キハ85系「ワイドビューひだ9号」

△8:26通過 485系「雷鳥5号」
パノラマグリーン車連結のA03編成でした。
10月からは「サンダーバード5号」になるスジです。

△8:30通過 遅3170レ EF66 9+ワム23両
約2時間半の遅れをもって、ワム貨物がやってきました。
朝日を一杯に浴びて走る姿は貴重ですね。
編成全景

釜アップ

バックショット

ダイヤの乱れもありましたが、充実した朝でした。
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外側線を走行する普通電車 ― 2009/09/20 11:49
というわけで、今日は連休2日目ですが、諸事情により鉄活動はお休みです……(^^;
さて、昨日の記事ではダイヤ乱れによる「内側線走行の貨物列車」がありましたが、この逆のパターン「外側線走行の普通列車」を紹介しておきます。
2005年10月16日早朝、大阪駅構内線路切り替え工事のため、茨木-新大阪・大阪間で下り始発&二番電車が外側線を走行したときのショットです。
茨木駅の案内

岸辺駅1番のりば
ふだんは開くことのない扉が開いていました。

207系岸辺発車
岸辺駅では駅員さんが出ることはないのですが、この日はホームに2人出ていました。

非常にレアな体験でした……。
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さて、昨日の記事ではダイヤ乱れによる「内側線走行の貨物列車」がありましたが、この逆のパターン「外側線走行の普通列車」を紹介しておきます。
2005年10月16日早朝、大阪駅構内線路切り替え工事のため、茨木-新大阪・大阪間で下り始発&二番電車が外側線を走行したときのショットです。
茨木駅の案内

岸辺駅1番のりば
ふだんは開くことのない扉が開いていました。

207系岸辺発車
岸辺駅では駅員さんが出ることはないのですが、この日はホームに2人出ていました。

非常にレアな体験でした……。
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臼井儀人さん逝去 ― 2009/09/21 07:29
<クレヨンしんちゃん>遺体は作者の臼井さんと確認 (毎日新聞 - 09月20日 21:22) 行方不明だった人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人(本名・臼井義人)さん(51)について、群馬県警は20日、同県と長野県にまたがる荒船山(標高1423メートル)で見つかった遺体を臼井さんと確認したと発表した。歯型などが一致したという。 群馬県警によると、臼井さんは荒船山の絶壁「艫(とも)岩」の頂上付近から転落したとみられ、遺体は艫岩の真下120メートル付近で見つかった。約50メートル離れた斜面に臼井さんのリュックサックやカメラも落ちていた。リュックには携帯電話と財布、衣類が残されていた。 遺体は19日午前に登山者の男性が発見し、県警のヘリコプターが20日午後に現場からつり上げて収容した。下仁田署で検視した結果、11日午後ごろ、全身強打による肺挫滅で死亡したとみられる。 群馬県警によると、艫岩の頂上付近に転落防止用の柵はないが、登山コースは絶壁に面した場所から離れており、目立った事故は起きていないという。 埼玉県警などによると、臼井さんは普段から山登りに行っていたといい、11日朝も「荒船山に行く」と言って埼玉県春日部市の自宅を出発。帰宅予定だった同日夜に戻らず、妻が12日に届け出た。 双葉社は20日夜、「これまで警察の捜索にいちるの望みをつないでいたが、こういう最悪の結果になり大変ショックを受けている。残された家族の心痛を思うと言葉もありませんが、今はただご冥福を祈るばかりです」とのコメントを出した。【畑広志、庄司哲也、喜屋武真之介】 |
「めぞん一刻」以来、高橋留美子さんの作品のファンとなった私。そんな中、「らんま1/2」の放映が終了しました。このときは同時間帯の裏番組だった「クレヨンしんちゃん」に視聴率を奪われた感もあったこと、そしてある種の下品さをどうしても受け入れることができず、当時の私の臼井作品への評価はあまり高くありませんでした。また、当時の親たちの反発も強かったことも印象に残っています。
そんな中でも、臼井さんはその主張を曲げることなく、今日まで作品世界を守り、そして育て続けてこられたこと、これは大いに賞賛できることです。まだこれから、という年齢なのに、このような事故によりこの世界が終わってしまうことが残念でなりません。現場となった荒船山は私の実家のすぐ近くにあり、小学校の遠足で長野県側から登ったことがあります。あの岩の上からの景色は最高でしたが、普通に歩いていればそうそう簡単に落ちてしまうような場所とは思えませんでした。なぜここで……という思いでいっぱいです。
ここに、謹んで臼井さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
間一髪セーフ、でも…… ― 2009/09/22 10:17
2歳女児が踏切に 電車の下に潜り無事 (9/21 17:22 日テレNEWS24) 21日朝、長野・須坂市で、2歳7か月の女児が警報機や遮断機のない歩行者用の踏切に入り、電車と衝突しそうになったが、女児は急ブレーキをかけた電車の下に潜り込み、軽傷だった。列車の乗客・乗員約20人にケガはなかった。 須坂市小山の長野電鉄屋代線の踏切で21日午前8時46分ごろ、走行中の電車の運転士が踏切内に女児がいるのを見つけ、急ブレーキをかけた。女児は電車の下に潜り込み、額に軽い擦り傷を負う軽傷だった。電車が停止した際、女児は車両の先端から約1.3メートルのところまで潜り込んでいた。 女児は須坂市在住で、この日は踏切脇の祖父母の家に母親と一緒に遊びに来ていたという。 |
大変な出来事でしたが、間一髪のタイミングで一命を取り留めることができたので安心しました。
この事故は第四種踏切で起こりました。すなわち警報機、遮断機は一切ないタイプで、安全確保は運転士、通行者の注意のみに任されているものです。
この場所は、道路交通量や列車回数が少ないことから警報機の設置が見送られたと思われますが、第四種踏切が住宅地の真ん中にあるのはやはり問題があるように感じました。せめて警報機だけでも設置すべき事例です。
しかし、地方鉄道会社の経営はどこも苦しく、最悪の事態に備えたくても投資対効果の面でペイしにくいためになかなかできない面も考えると、国による安全確保のための補助が必要と感じます。
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客車急行「ちくま」最終日~レインボー&ユーロの並び ― 2009/09/23 16:24
祝日法のアヤによってもたらされた今回の5連休でしたが、初日の朝の撮影以外は特に外に出たわけでもなく、ひたすら荷物整理に追われておりました。
整理中の資料から出てきた過去ネタを一つ。
国鉄末期から12系+14系寝台車の編成で運転されていた大阪発長野行の急行「ちくま」号ですが、1997年9月29日発の運行を最後に、383系電車に置き換えられました。
写真は大阪発の運行最終日(9月29日)に実現した、大阪-名古屋間を牽引したJR東日本・田端運転所EF65 1019号機(初代レインボー釜)と、名古屋-長野間を牽引するJR東海・静岡運転所EF64 35号機(ユーロ釜)(代走:所定 JR貨物・愛知機関区EF64)の並びです。私も最終日となるの碓氷峠に向かうべく、最終日のB寝台上段に乗車していました。
ビッグスターの並びとあって、名古屋駅はパニック状態で、この写真を撮影するのが精一杯でした。
蛇足ですが、客車はJR西日本・宮原運転所所属、車掌はJR東日本・長野車掌区の担当で、本州を管轄するJR3社+JR貨物の連携なくしては運行が成立しない列車でした。

JR東海管内に客車が乗り入れできなくなった現在となっては、貴重なショットと言えるでしょうか。
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整理中の資料から出てきた過去ネタを一つ。
国鉄末期から12系+14系寝台車の編成で運転されていた大阪発長野行の急行「ちくま」号ですが、1997年9月29日発の運行を最後に、383系電車に置き換えられました。
写真は大阪発の運行最終日(9月29日)に実現した、大阪-名古屋間を牽引したJR東日本・田端運転所EF65 1019号機(初代レインボー釜)と、名古屋-長野間を牽引するJR東海・静岡運転所EF64 35号機(ユーロ釜)(代走:所定 JR貨物・愛知機関区EF64)の並びです。私も最終日となるの碓氷峠に向かうべく、最終日のB寝台上段に乗車していました。
ビッグスターの並びとあって、名古屋駅はパニック状態で、この写真を撮影するのが精一杯でした。
蛇足ですが、客車はJR西日本・宮原運転所所属、車掌はJR東日本・長野車掌区の担当で、本州を管轄するJR3社+JR貨物の連携なくしては運行が成立しない列車でした。

JR東海管内に客車が乗り入れできなくなった現在となっては、貴重なショットと言えるでしょうか。
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